【2022年10月15日】行ってきたぞ日本平動物園〜「知らない」と「変」について〜

有言実行。日本平動物園行ってきた。

前に行ったのはいつだろう?と考えても思い出せない。5,6年は行ってなかったんじゃないかと思う。

日本平動物園、レッサーパンダ推しらしい。そんなだったっけ?などと思いながら、でもレッサーパンダはかわいいからな…と圧倒的KAWAIIパワーにやられてしまった。レッサーパンダはかわいい。

レッサーパンダ、ずっと動いていたのでまともな写真がこれくらいしかなかったが、かわいさは言わずもがな伝わると思う。いや、伝えるまでもない。周知の事実だ。

和(カズ)の子どもの名前は『かずのこ』らしい。ちょっとセンスがうらやましい。

当日現地にて知ったのだが、2日前にキリンが亡くなっていたらしい。

キリン舎の前に献花台が設置されていた。

元々浜松市動物園いたということで、おそらく浜松市動物園にいたときに見たことがあったと思う。安らかに眠ってほしい。

以下諸々画像

現在の日本平動物園は「行動展示」と呼ばれる(旭山動物園とかで有名なあれ)展示をしており、特にネコ科の大型動物を間近でいろんな角度から見られて大満足だった。

個人的に大好きなオランウータンがよく動いて(働いて)ギャラリーを湧かせていたのも熱い。

自分には子どもがいないのだが、園内を歩いているとよく子どもの「変な動物」とか「変な名前」という声を聞いた。一度や二度では無かったのでなんなんだろうな。と少し考えたのだが、「自分の知識(自分の中の常識と言ってもいいかもしれない)にないものと対峙したときに語彙が少ない故に『変』という言葉で代用して何か咄嗟に思ったこと・何かを思ったということを言っているのではないか」と仮説した。もちろん短い時間で考えたことなのでこれは妄想と想像と言っても差し支えない。

しかし、これは子どもだけの話だけでなく、大人にも言えるのではないだろうか。

『問題』に直面している弱者やマイノリティに対し「それは変だ」だとか「普通、〜〜〜だ」、「努力が足りない」とか言えてしまうのはいつだって想像力のないマジョリティだ。

子どもが動物に対し言う分にはかわいい。いや、個人的には懇切丁寧その『変』を『彼らの普通』だと説明したい気持ちはあるが。まぁかわいいものだろう。

なぜ「自分と違う」「変」としてしまうのか。これは注意していないと全然自分も咄嗟に思いかねないので注意しなければならないのだけど、自分の常識と世の中の常識は基本的に違うし、なんならそもそも『常識』というものそのものが危ういものだと思うことも多々ある。せいぜい『自分が経験して得てきたこととは違う』とか、そのくらいに留めていた方がいいのではないだろうか。

差別というのは「自分と違うことに対する恐怖」から生まれる。といったようなことをどこかで読んだことがある。じゃあ、やっぱり知ることから始めない?と思うのだ。

子どももそうだ。動物園は「変な動物を見る場所」ではなく「この世界に生きる多様な動物を見て知ることができる場所」なのだから。

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