国葬前日に『Sessionの本 vol.1』が届いた

明日、国葬というものをするらしい。更新日的には今日だ。このブログはだいたい前日の夜書いている。

仕事から帰ったら注文していたçが届いていた。イベントのチケットと合わせて買っていたのだ。

『Session』はTBSラジオの夕方に放送されているニュース番組で、個人的には『Session-22』時代から聴いている番組で、社会で起こっていることに興味を持つようになったきっかけの番組である。

今日全部は読みきれない。と思い、チキさんの『ごあいさつに代えて』南部さんのエッセイ『悼むということ。』、野口Pの『あとがきに代えて』を読んだ。この本が、このタイミングでこの内容で世に出ることについて、考える。

チキさんの文章にあった「ラジオは「中くらいのメディア」です」という文章に、自分がなぜラジオを聴くのか。その理由が詰まっているように感じた。ラジオは情報メディアとして発信もしつつ、生放送の有無に限らずリスナーからの声を拾い、それをまた他のリスナーへ繋げたり、パーソナリティが応えたりする。「パス回し」をするメディアであると思う。

Sessionの場合はパーソナリティと専門家とリスナーでパスを回しているイメージ。聴いていてわからないことも少なくないが、全くわからない。ということもあまりない。

そんなラジオ番組から生まれた『Sessionの本 vol.1』はここ数ヶ月で起きた出来事から『国葬』や『宗教と政治』、『宗教右派とジェンダー』をテーマにまとめられた1冊である。

国葬、オリンピックと同様に決まってしまった(いつの間にか決められていたのに?)ものとして暗黙の了解のように進み、もう明日に控えている。先週末には2度の台風が来て静岡県中部では甚大な被害が出ている中でも行われるらしい。

本当にどうかしていると思う。世論は反対派多数だ。それでも。

愛国心というものは昔からあまり持ち合わせていないが、それでも民意を見て見ぬふりをし、「丁寧な説明」を繰り返したところで納得できるものはどこにもない国葬を実現しようとするあなたよりも、この国を気にかけているひとは自分を含めたくさんいるよ。と、どうしても思ってしまうのだ。

現首相にとって、現政権にとって、何がそこまでそうさせるのかわからないが、新型コロナウイルスやオリンピック等振り返ればいつもこの「決まったこと」が繰り返しこの国で生きているひとを踏み殺しているように思えて仕方がない。

明日(9月27日)、何が行われ、Sessionの配信番組で何が語られるのか。忘れないようにしたいと思う。

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