チョ・ナムジュ『彼女の名前は』読み終えた。

先日1章を読んで止まっていたチョ・ナムジュ『彼女の名前は』を読むのを再開した。というブログを書いたが、読み終えた。

『82年生まれ、キム・ジヨン』著者の次作短編集。「次の人」のために立ち上がる女性たち。

筑摩書房公式WEBサイトより

成瀬彩氏による解説には「小説ではあるが60人余りの女性へのインタビューが元になっており」とあるように、韓国で実際に起こったことが作中で描かれる。女性の生きづらさがつらつらと綴られるその物語は「韓国は大変だな。」ではなく、「韓国で起こっていること(起こっていたこと)って日本でもSNSで散々見てきたもの、語られてきたものではないか。」と思い、そう思うたびに自分が男性として生きている以上、特権を得ているか。を思い知る。

個人的に心に残っているのは『離婚日記』『結婚日記』『母の日記』。離婚する姉、結婚する妹、その母親。それぞれの視点から語られるエピソードである。妹から見る「離婚する姉」の印象に胸が苦しくなりつつも、姉妹のシスターフッドや母の緩やかな心境の変化に心を打たれた。

その他にも『運のよい日』『調理師のお弁当』『もう一度かがやく私たち』…ひとつひとつの短編で描かれるそれぞれの主人公である“女性たち”の物語は社会の理不尽とそれぞれのやり方で戦い、次の世代にこの負の遺産を残さない。という気概を感じるものも多く、フェミニズム・ジェンダー小説であると同時にエンパワメント小説でもあった(フェミニズムやジェンダーを扱う時点でエンパワメントに至るのでは?とは少し思いつつ)。

韓国小説を読んでいるとデモやスト(ストライキ)といった『市民が声を上げる』描写がとても多いように感じる。それは特定のジャンルを読んでいるから。というだけではない気がする。

正直、市民が声を上げること。権力に対し真っ向から対峙すること。数年前の自分はそれこそ冷笑に近い印象を持っていたが、こうもおかしなことが起きてもそのおかしさを受け入れ続ける自分でいると、そういうことができるのがうらやましく感じるようになってきた。

いや、声を上げるべきなのだと思う。それと同時に日常が、生活が変化することにも恐怖し、怯えている自分もいる。

社会を見渡してみるとこの社会を次や次の次の世代が引き受けなければいけないと思うと、やはりどこかでケリをつけるべきなんじゃないか。と思うようになってきた。が、それでもまだ身の安全を優先したくなる自分がいて嫌になる。

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