2022年10月3日放送『伊集院光 深夜の馬鹿力』について

普段からラジオはタイムフリーを使って聞いている。その放送が始まるまでいつも通り翌日にタイムフリーで聞くか、それか今日はリアルタイムで聞くか。直前まで迷って結局寝落ちするまでリアルタイムで聞こう。となった。

きっと伊集院さんはラジオの内容を書き起こされることが嫌だろうし、内容をレポート的に書き出すのも下品だとは思っているので、あくまでこれは自分がどう感じたか。何を思ったのか。の備忘録。

放送を聞き終えたあとのツイート

伊集院さんがどんなひとか。どんなパーソナリティか。と、考えたとき、ラジオがめちゃくちゃ面白いひと。というのは大前提として、ラジオというもの、リスナーやスポンサー、スタッフといった番組に関わるひとたちに対して真摯であり不器用なひと。だと思っている。

昨日の放送もとにかく真摯な放送だった。言葉を飾らずにわからないことをわからないと言い、元気はない。と笑い、エンディングで多くは語らずに普段とは違うことをする。変な言い方かもしれないが、いつもの「伊集院光 深夜の馬鹿力」であったと思う。

毎週リスナーが楽しみにしている(少なくとも僕はそう)「そのとき伊集院さんは何を考えていたんだろう」を伊集院さんが話す2時間。今週はそれがいつもよりもわかりやすくリスナーが「いつもと違う放送になるのではないだろうか」と思ってしまうことがあって迎えた、いつもの放送。

いつもの放送であって、いつもの放送でない。

ここ数年は夜のラジオで語られる「伊集院光と円楽と」や「伊集院光と円楽と金子Dと」の話になるたびに伊集院さんの師匠に対するリスペクトが滲み出る話に毎回ニコニコして聞いていた。直近では8月の放送であった「国立演芸場」だろうか。あの話はいま聞くとまた泣き笑いしてしまいそうで聞くに聞けない。

こういった話が今後思い出話としてでしか聞けなくなるのは本当に寂しい。

伊集院さんが「旅行には行かなきゃいけない」と思ってしまった話、今年祖母を亡くしたときに夕方から通夜だがやれることないし、予約していた献血には行かなければいけない。と思って献血に行ったことを思い出した。日常を続けなければどうしていいかわからないからだったと思う。伊集院さんと自分を重ねる。というのもおこがましいのだが、ああ、わかるな。と思った。

伊集院さんがどれだけ元気だ。大丈夫だ。って言ったって後から鬱々としてくる日がきっと来るだろう。そうなっても『河野〇〇(河野かずおの娘の名前)の人生〇〇年』でも放送して休んでほしい。

僕は「伊集院光じゃないとダメ」なので休める環境であることと、戻る場所があることを願っている。

朝の番組は不本意な形で終わってしまったとは思うが、伊集院さんが落語をやるきっかけになったのは間違いなくあの番組だったし、あの番組があったからこそ。ということは少なくはないといまでも思う。

伊集院さんは練習していた「芝浜」もやらなくていいんだ。と言っていたけど、それこそ芝浜よろしく5年後でも10年後でも、やる気になったらやればいいし、きっと僕を含めたリスナーたちはそれを心のどこかで望んでいる気がする。もちろん、やらなくてもいい。

伊集院さんが元気で生きていてくれるならそれでいい。

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