ディズニーの既存キャラクターの『実写』映画とその広報について思っていたことがある

ディズニーの映画は割と好きだ。

ただ、それもここ数年(ズートピア以降か)であり、ディズニーのアニメで育った。というわけでもないので好きな作品やキャラクターはいるけど小さい頃からずっと好き。とか、そう思えるキャラクターはいない。そこそこファンでありながら「今回はそこまできたか。なるほど」といった具合にディズニーの印がついた物語を楽しんでいる。

割と大人になってからディズニー作品を見るようになったので、数多く見ている。というわけではない。きちんと把握しているのは80年代後半からのディズニールネサンス期と2010年代以降。そこに過去のプリンセス映画や長編アニメーション映画をなんとなく見ている程度。ディズニープラスに入っていてもそんなものだ。

さて、ここ数年、特に2010年代に入ってから『〇〇(直近のディズニー作品名が入る)のディズニーが贈る』から始まる実写映画の予告をよく見るのだが、例えば『美女と野獣(2017)』と『マレフィセント(2014)』を同列に並べるの、違くないか。ということ。

なんというか、ラインが違う気がするのだ。

『シンデレラ(2015)』や『美女と野獣(2017)』、『アラジン(2019)』といったプリンセス再構築映画。『ムーラン(2020)』はミュージカルシーンがオミットされたと聞いたり新疆ウイグル自治区のことがあったりとでなんとなく見ていないのだが、プリンセス再構築映画の枠かはわからない。

『マレフィセント(2014)』や『クルエラ(2021)』のヴィラン再解釈映画

『トゥモローランド(2015)』や『ジャングル・クルーズ(2021)』のテーマパーク映画

『ジャングル・ブック(2016)』や『ライオン・キング(2019)』を“実写”映画と言っていいのかわからない(ほとんどCGアニメーション映画では)のだが、ストーリーラインもほとんど変わっていないこの辺はディズニーの映像実験映画と言っても差し支えがないと思う。個人的にジャングル。ブックのキング・ルーイをオランウータンからギガントピテクスへ変更したのは最高の改変であった。

そのほかにも『プーと大人になった僕(2018)』や『アリス・イン・ワンダーランド(2010)』、『ダンボ(2019)』といったなんとなく共通点があるような気がするがないような気もする映画がある。

そもそも映画のジャンル分けや枠に入れる。ということ自体が無意味で無粋なのはわかっている。わかっているのだが、広報であまり関係なさそうなタイトル使ってくれるな。とどうしても思ってしまう。

『クルエラ』の予告には「美女と野獣のスタジオが贈る」と書いてあった。スタジオか。配給会社という認識で合っているのだろうか。それで言うと『アベンジャーズのスタジオが贈る』もそうだぞ。となってしまう。そもそも配給会社には興味ないし。他に訴求できそうな作品なかったのだろうか。

「マレフィセントのディズニーが贈る」とかだと同ジャンル過ぎるのだろうか。それでも届けるべきひとに届けるには手っ取り早い気がする。『美女と野獣』と『クルエラ』では客層が被っていない気がするのだが。ディズニーくらいになると『美女と野獣』と『クルエラ』を同列の“実写映画”と捉えるひとも少なくないのだろうか。

少なくないんだろうな。と思ってしまった。

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